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Column

働く「意識」改革

2017.1.20

「働き方改革」についてのニュースがとても多い。

長時間労働への風当たりもものすごく強い。

いつも言っているけど、「嫌々やらされている仕事」を長時間やるのはつらい。それは減らすべきだろう。

でもなんだか一律で、「労働時間を減らしましょう」「休みを増やしましょう」という一元的な考え方しか多くは語られていないような気がする。

なんだかそれってものすごくもやもやするんだよね。

僕は独立してから、サラリーマン時代より非常に長く「働いて」いるけど、病気にならない。
サラリーマン時代年に2回は必ずと言っていいほど風邪をひいていたけど、いまはほとんどひかない。

僕の周囲の経営者の多くはそうだし、それからベンチャーで働いている人たちも長時間労働だけど、生き生きしている人も大勢いる。

電通も三菱電機も大きく取り上げられているけど、あれは長時間労働にパワハラが組み合わさっているものだよね。

愛のない職場で愛されずに長時間働かされたのではないだろうか。複合要因だよね。

何事も「嫌だ嫌だ」と思っていることをやるときは、人はつらいものだ。

どうなんだろう。
仕事って、働くことって嫌なものなの?
できれば、できるだけしたくないものなの?
生活のために致し方なく働くの?

人の役に立ってありがとう、って言われることって嬉しいんじゃないの?
工夫したことが成果を上げた時は嬉しいものなんじゃないの?
「こうしたらきっと良くなる」って情熱持って働いているときって、ウキウキして、時間が経つのを忘れるものなんじゃないの?
そういうときに「6時だから帰りましょう!」って一律に言っていいの?

生産性を高めるっていうけど、それも大事だけど、生産性高めたら、働く時間を単純に減らせばいいの?

どうも世の中の論調が「働くのはつらいこと」という前提に立ちすぎているように思う。

「働き方」ではなくて、「働く意識」の違いが大きいのではないだろうか。

僕は20代のころ、仕事が嫌で嫌でしかたがなかった。会社行きたくなかった。できれば働きたくないと思っていた。
とてもつらかった。なんで働くんだろうって自問自答していた。

でも「働くことって、誰かに価値を提供すること」であって、それは喜びをもたらすもの、って学んで意識が変わった。(変わるまでに数年以上かかったけど)

このスイッチの違いは大きいと思う。

格差社会というけど、その格差って、「働く意識の格差」のようにも思えてくる。

どんな仕事でも、自分で工夫したり、同じ接客業でも、お客様とのコミュニケーションを楽しくしたり、工場でも、改善・工夫をやってみたりしたら、働きながら嬉しいと思う瞬間はあるんじゃないだろうか。

会社が好きか?仕事が好きか?って聞かれて、日本人が欧米に比べてもっとも「嫌い」って答えるんだそうだ。
欧米は、「嫌いなら辞める」から、残っている人は会社や仕事が好きな人だということだ。

それだから、無駄な、嫌々やるような長時間労働が少ないのかもね。

ごめんなさい、もやもやが続いているけど、うまい言い方がまだできない。

でも、いまの世の中の論調、ちょっと違うよな、って思う。

繰り返すけど、嫌なことを長時間させられるのはつらい。それは減らそう。あるいは辞めよう。
そして働く意識を変えて、仕事が楽しくなる工夫をしよう。それには個人だけでなく経営者や人事部門も取り組まなければならない。

働く意識、または労働観についてよく考えてみたい。考えてほしい。
お金をもらうために仕方なく仕事をするんじゃなく、お金は「ありがとうの量」って思うとかね。簡単じゃないのはわかっている。
働くことは「ほんとうはしたくないこと」という意識から解放されたら、楽になるのになあ。僕はそうだったから。

経営者として、社員が「楽しく働く」「ありがとうって言われるように働く」「嫌々働かない」ための工夫をもっと考えるべきなんだろう。

うーん、こういうの、うまく言わないと、「ブラック経営者」って言われちゃうよね。

 

 

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