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Column

配慮と遠慮

2019.8.30

日が短くなってきたなあ。寂しいなあ。まだ暑いけど。

先日、社内で、「西尾は配慮はするけど遠慮はしない」と言われました。

あ、そうなんだ。

僕としては両方しているつもりだったんだけど、そう言われてみて、
「おや、配慮と遠慮ってどう違うんだろう」と改めて考えてみました。

まあ、無意識ながら両者の定義は、ほぼ間違いなく使っていたんだけど。

いろいろ確認してみると、
「配慮」:心配り、気配り、相手を軸として考え行動すること
「遠慮」:言葉や行動を慎み控えること、辞退すること、引き下がること

「遠慮」は自分を軸として行動すること、という記述もありました。

うん、まあそうですよね。
ということは「配慮はするけど、遠慮はしない」というのは、そう悪いご評価ではないということですかね。
まあね~。

とはいえ、自分で反省してみると、「そう配慮していないことが多々ある」ように思います。それほど人物できてません。
遠慮だって、してる時もある。さして関心のないときとか。

しかーし、やはり目指すべきは「配慮はすれども遠慮はしない」ということですね。

例えば会社での会議で「配慮」は大切だけど、「遠慮」は実に困ります。

「遠慮」は、自分がどう思われるか、変に思われたりしたら嫌だな、目立ちたくないな、面倒になるかな、などということで「発言しない」「黙っている」ということだとすると、会議ではほんとに困ります。

何のためにそこにいるのさ。

目標設定会議や評価会議に出させていただく機会が多いと思いますが、まだまだ「遠慮」が多いように思います。
それでは「いい目標」を衆知を結集して作れないし、「いい評価」としてのメッセージを適切に構成することができない。

「生産性」はその会議がどれだけ有効かが問われます。
「遠慮」する人の会議での生産性は極めて低いと言わざるを得ません。

ということで、「遠慮」は仕事ではできるだけやめましょう。
「配慮」と「遠慮」改めて考えてみて下さい。

二次会でカラオケ?遠慮しときます。

西尾 太

 

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