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Column

1987年

2009.7.7

今日仕事でご一緒させていただいた方と話をしていて、彼は大学生のアルバイトを雇っているそうで、曰く「今の大学生はインターンシップをしているからか、社会人としての心構えもできていて優秀ですよー」とのことであった。そうなのかあ、先日の新入社員研修でもみんな優秀だったもんなあ、近頃の若い人は僕らに比べて優秀なのかもしれないなあと思った。

僕の大学生活は、それはそれは自堕落なもので、遊びにがんばるわけでもなく、バイトをがんばるわけでもなく、サークルはそれなりに力を入れたけど、世の中の人に比べりゃきっとたいしたことはなく、大学の単位は心配だったけど勉強をがんばるわけでもなく、ただ茫然と生きていた。悪いこともしない。ただバンドでピアノ弾いたりしながら、大学に行っても喫茶店と雀荘にしか行かずに過ごしていた。親にもまったく申し訳ないことだと今になってほんとうに思う。
そして将来の目的があるわけでもないし、漠然と「あーあサラリーマンになるんだろうなあ」ぐらいしか考えていなかったし、サラリーマンっていうのは「サザエさん」ちのマスオさんや波平さんぐらいしかイメージしていなかった。

1987年(今年の新入社員さんで早生まれの人はたしか1987年生まれ・・・あーあ、まいっちゃうなあ)は大学4年生の年で就職活動の年だ。世はもう少しでバブルという時で、財テクとかいう言葉がよくわからないけどはやっていて、メーカーは円高不況を乗り切ろうとしていた時期でもあり、大学の同級生のほとんどが銀行・生保・損保・証券への就職活動をしていた。自堕落な僕は、マスコミもいいなあとか音楽業界もいいなあとか思っていたけどこれといった努力をするでもなく(きっとそれほど行きたくはなかったんだろう)、なんかみんなが動き出したから、そろそろやんなきゃいけないんだろうなあ、ぐらいの感覚で就職活動を行いだした。

高校受験ぐらいまでは周囲が一斉に、半ば強制的に「受験!」という勢いになるので、そういうときは僕も多少はがんばるようなんだけど、就職活動はもっと漠然としている感じもして、また一方で、ミーハーなくせに「みんながいきたいところにはあんまり行きたくない!」というへそ曲がりな性格もあって「金融機関にだけはいかない!」と思ってなんとなく会社を回った。

結局、神風が吹くわけでもなく、ただ父親が木材卸でトラックに乗っていて、クルマが好きだという理由でいすゞ自動車に入るわけだけど、これも何百人も新卒採用する会社に入って競争すんのは嫌だなあ、というかなりやる気のない理由から行き着いたところなわけで、まあほんとに何にも考えてない就職活動だった。

そんなだから就職してから本格的に悩みだすわけで、方向性やモチベーションリソースを見出すまで相当な時間と試行錯誤を繰り返すことになった。まったく自業自得である。
それでもいすゞでの経験は、今の僕にとってとても貴重なものになるんだけど、それはまた別の機会で書かせていただくことにする。

だから社会人になってからの記憶は鮮明なんだけど、大学時代の記憶があまりない。もうちょっと社会とか仕事とか働くとか、そういうことの意味を考えるべきだったと今だから思うけど、当時は気づきもしなかったし、知ろうともしなかった。誰も教えてくれなかったというのは言い訳で、自分で考えようとしなかっただろうと思う。

今の若い人たちは(僕も十分まだ若いと思っているけど)、きっともっと真剣なんだろうな。僕の大学時代とは時代の要求が違うし、たいへんだろうとも思う。だからすごいなあと感心する。

でも、ただね、だからこそなんだけど就職において一般的に言われていることや思われていること、それからそれこそそういう大学時代を過ごした親の世代の時の状況とは大きく違ってきているのが今だと思う。雇用不安が叫ばれる中で安定志向が強まっているとも聞くけど、昔信じられていた安定、っていうものはほんとにもうないし、「大企業に入れば生涯安泰」なんてことも決してない。人気企業に名を連ねる企業の顔ぶれもそんなに変化していないのはとても不思議だよ。リスクはどこにでもあるし、チャンスもどこにでもあると思う。僕はそういうのを身をもって悩んできたから逆に見えてきたものもあると思っている。ほんとうに意味のある働き方や仕事・会社選びをしていただくために、できることをさせていただきたいと思っている。

それにしても1987年・・・だめな奴だったなあ。

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