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Column

雇用の概念

2011.3.29

会社が人を雇用するということは、そこに責任が生じることは周知だ。雇用とは、労働者が会社に労務を提供し、賃金という対価を得るための契約だ。会社の指揮命令に基づき働くことが求められる。一方で会社は労働者をさまざまな面で守らなければならない。無期雇用なら尚更だ。
とまあ、そういうわけなんだけど、21世紀にも入り、「資本家が労働者を搾取する」という前世紀前半とは世の中も大きく変わっている。

会社によってはまさにそのままの状態のところもあれば、逆(労働者が資本家を搾取する?)という状況のところもある。双方のケースからご相談をいただくことが多い。

それはそれぞれ個別の問題なので、コメントは差し控えるけど、昨日一緒に食事をさせていただいた経営者の方は、「自分の会社では、会社専業を禁止する。副業をどんどんやってほしい」ということを話されていた。

これ、正しい動きだと思う。

僕は、「勤続とロイヤリティは比例しない」という説をずっと言っているけど、長く働くことがいいというわけでは決してない。合わせて、「その会社の仕事だけしなさい」という概念も、そろそろ打ち破ってもいいのではないかと思っている。「骨をうずめる」という概念も変化が必要だ。すべてに良いわけではない。

世の中の労務トラブルの多くは当然「雇用契約」を巡って起こっている。

だったら、「雇用契約なんてやめてしまえば?」と思うことも多い。

会社と個人の関わり方には雇用契約以外にもたくさんある。

今日一緒に企業に訪問させてもらった学生さんは、「この時代に会社に雇用されている場合ではない」ということで、多くの企業と付き合っていくために自分で会社を興すことにし、あまたあった内定を辞退したそうだ。内定辞退をしても、その会社と別の付き合い方をするそうだ。

正しい選択のひとつだと思う。(内定を辞退された人事担当の立場からすれば「おい、こら!」だけど)

で、話が広がって、「西尾さんのコラムは長い」と須田くんにも言われてしまったのでおさめるが、何が言いたいのかというと、

「雇用という関係に会社側も個人側も、もたれかかっちゃいけないんじゃないの?」ということ。

雇用する責任は、ずっとその会社に勤めさせるのではなく、いつでも他社にいける、独立もできるように育てることだとも思うし、雇用される責任は、自分がその会社で必要なくなったら、いつでも必要とされるところに移れるように自分の力を磨きながらその会社に貢献するということだと思う。

人を雇うのならば、その人の将来をどう考えるのかということも合わせてよく考えてほしい。

雇われるならば、「それで安心せずに、いつでも離れていける力を付けることをよく考えてほしい」

そこでネックになる概念は「安定性」だ。僕は最近この言葉が「諸悪の根源」だと思うようになっている。その概念さえとっぱられば、もっと自由になれると思う。

また話が広がったので、また次にしよう。

僕ですか?「自由と死」は隣り合わせです。

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