評価制度も人事の悩みも、
普遍的な体系で
一気に解決する人事のプロフェッショナル

Column

無知の知

2016.4.7

知っていることは知っていることであり、知らないことは知らないと認識すること。

それを孔子さんやソクラテスさんが、無知の知あるいは不知の知としておっしゃったとのこと。

ここは哲学の場ではないので、ご関心があれば詳しくはみなさん調べていただくといいとして、
僕はこれを、

「知らないこと」「できていないこと」を「知っている」ことであるとして、
それはある種、とても「いい状態」だと思っている。

「何ができていないか、何を知らないか」を「知っている」ということは、
何ができるようになればいいか、何を知ればいいかを「知っている」ことであり、
それをできるようになる、知ることが、「成長」ということにつながるのだ。

痛いのは、
「知らないことを、知らない」「できていないことを、知らない」ということで、
これでは成長できない。

またもっと痛いのは、
「知っている」「できている」と「カン違い」している状態だ。

とくに「人のこと」については、他者のことでも、自分のことでも、
たいがい「わかってない」ものだ。

「わかってるもん!」と思った時点でたいがいアウト!である。

人事評価の目的は、この「無知の知」を抽出することにあると思う。

評価会議でいつも問題になるのは、本人は「できてるもん!」って思っていることに対して、
評価者が「違うよねえ」と評価して、それをどうフィードバックするか、ということだ。

そこをなあなあにしたり、テキトーにごまかしてしまうこと、
あるいはちゃんと向き合ってフィードバックしようとしないことは、

本人にとって成長の機会を奪ってしまうことになるのだ。

その意味で、何ができていて、何ができていないのか、ということを伝えることは大切で
(もちろん、できていることを褒めることも大切で)、
評価指標はある程度の細かさが必要にもなる。

ざっくり「協調性、B」って言われたって具体的な行動を言われなければ、
納得もしないし、行動変革にもつながらない。

評価は、無知の知を明確にすること、
それによって成長の機会を作ること、
これによって意義あるものになる。

僕ですか?「知らないこと」「できてないこと」はたくさんあります。
カン違いもきっとたくさんあるんだろうなあ。

ゴルフについては「できていないこと」はだいたいわかるけど、
それがなかなかできるようにならないんだけどね。

 

お問い合わせ・資料請求はこちら

ご相談から質問まで、
まずはお気軽にお問い合わせください。