評価制度も人事の悩みも、
普遍的な体系で
一気に解決する人事のプロフェッショナル

Column

2010.7.27

僕が育ったのは、港区白金。三光坂下。
というとお金持ちのように思われるが、それが残念ながらまったく違う・・・。

あのへんは今でこそ高級住宅街だが、昭和40年代(!)は、特に坂の下の方は極めて庶民的な街だった。たまたま父の会社の社宅(といっても木造平屋建てで、ビー玉を置くとしっかりと転がっていくような、またお風呂も壊れているような、「ゲゲゲ」のような建物のようなものだったが)があったというだけだ。周囲に銭湯も何軒かあっていつも行っていた。
家はお寺の敷地にあって、まわりは自然豊かだった。

うちは経済的には豊かではなかったが、豊かでないことを実感するのは、近所のお寺さんちの友達の家に遊びに行って、絶対買ってもらえないだろうなあというおもちゃで遊ばせてもらう、という時ぐらいだった。

とにかく自然が豊かで、夏になるとお寺さんの森に入らせてもらって、くわがたを取ったり、蝉をとったりして遊んでいた。また、外に僕がいちごパックの容器を置きっぱなしにしておくと、そこに雨水が溜まり、気がつくといちごパックにぴったりはまる大きさの「カエル(がまがえる?)」が、どっぷりつかっていたり(昼間はいないが、夜になると帰ってくる)、夜、窓のそとにヤモリがはっていたり、ニシキヘビがとぐろを巻いていたり・・・。

そんなんでまったく退屈しない夏を過ごしたものだった。

だから夏は好きだったし、楽しかった。
まさに「僕の夏休み」という夏が、引越しをする小学校2年生まで繰り返されていた。
経済的な豊かさよりも、貴重な豊かさをいただいたと思っている。

その後門前仲町に引っ越したが、そちらに行ってからの夏の記憶はあまりない。

クーラーなんて、うちにはなかったけど、寝苦しさなんて感じたこともなかった。

今は、エアコンガンガンではないと寝られない。気温が高くなったのか、僕がおじさんになったからなのか・・・。

お問い合わせ・資料請求はこちら

ご相談から質問まで、
まずはお気軽にお問い合わせください。